ゲームにハマる

こんにちは、MIZです。いつもお疲れさまです。
本作品はもともと1日で仕上げるはずでした。なのに、5日もかかってしまいました。少し長いかと思います。まだまだ先を書けそうでしたが深追いするのはやめて、終わらせました。これ以上書くと物語が際限なく広がって行きそうな気がしたのです。自分の限界を超えて書き続けますと物語が崩壊します。長編はまたの機会にいたします。

「ゲームにハマる」

真冬の午後、外では雪が降っている。今年は例年よりも寒くなく、厳しい寒波のやってくる今の時期でも大雪といえるような日はまだない。今降っている雪は水みたいで、地面に着いても、白色は残ることなくすぐに透明になってしまう。道路のアスファルトは黒色のままだ。融雪装置も作動していない。しかし、さすがに冬である。室内にいても、暖なしでは寒い。
洋子はコタツの中に足を入れながらパソコンでゲームをしている。暖房の効いた部屋で温まりながらゲームをするのは極楽である。テーブルの上には熱いお茶と甘い茶菓子、ポテトチップスやポッキーなどが置かれてある。ポテトチップスを触った手でコントローラを持つと油分でボタンがベトベトするけれども、そんなことを気にすることなく、彼女はテレビの画面を見つめながら、しっかりとコントローラーを持っている。親指と人差し指が悪魔に操られているかのように忙しく動く。ゲームをしている人の手元を見れば、その人が今手を離すことができない心境にあるかそうでないかがわかる。洋子は今、コントローラーを手放せない。いいところなのだ。
洋子がゲームにハマるようなったのは、社会人になってからだ。学生のころは部活動と勉強で忙しく、ゲームどころではなかった。学業の成績は優秀で、中学の頃には学年で1番か2番をとるのが当たり前だった。部活動ではバスケット部に所属し、3年の頃にはキャプテンとしてチームをまとめていた。勉強ができて、スポーツもできる生徒の典型だった。高校に入っても洋子の優等生ぶりは変わらない。進学校に進学したものだから、さすがに1番を取ることはできなくなったが、それでもいつも上位だった。全国模試では、英語、数学、国語の偏差値は軽く60を超えるのが当たり前だった。そして、相変わらずスポーツができて、男子からはそこそこ人気があった。同性からは嫌な女だと思われていたかもしれない。
なんとしてでも、このミッションをクリアしなければならない。クリアしないうちは、コントローラーを手放して現実の世界に戻ることなんてできない。ゲームの中に登場する不精ひげを生やした黒髪の山賊を片付けなければならないのである。
左手でコントローラーを持ちながら、もう片方の空いた右手でポテトチップスと掴む。そして、口に入れる。コンソメ味だ。だが、うまいけれども、味が今いちよくわからない。食べた気がしない。たった今、自分はポテトチップスを食べたのだろうか。よくわからないから、もういちどポテトチップスの袋に手を伸ばす。今度は3枚くらい一気に掴んで、口の中へ入れる。さっきよりも味が濃くなった気がする。これでこそポテトチップスなのかもしれない。テーブルの上にはチョコレート味のポッキーが封の空いた状態で置かれてある。けれど、今はポッキーを食べている場合ではない。右手でお茶の入った椀を手に取り、一口すする。千利休が見たら大層悲しむくらい興ざめな様子でお茶を飲む。洋子にとってお茶は単なる飲み物でしかないから仕方ないのかもしれない。
高校を卒業した後は、大学に進学した。東京にある国立大学の理学部に入学した。キャンパスは自宅から通学できる距離になく、1人暮らしをすることになる。大学に入ってみて驚いたのは、何もかもが自由すぎることだった。講義に出席した後は家に帰って休んでもいいし、友達の家に行って休んでもいい。ご飯を食べに行ってもいい。紙を明るく染めてもいいし、ピアスをするために耳に穴をあけてもいい、短いスカートをはいても誰からも文句を言われない。未成年だけれど、コンビニやスーパーでお酒をレジまで持っていっても、店員は何事もなく会計してくれる。居酒屋に行っても年齢を聞かれない。それどころか接客スタッフから飲み放題を勧められることすらあった。未成年なのに。自分は大人っぽく見られるタイプなんだと思うようになり、高校生から大人へと生まれ変わったような心持ちになった。
大学の講義は退屈で、1年の後期を終える頃には学問のことなどどうでもよくなっていた。高校のときみたいに教師が生徒を忙しく勉強させるのかと思っていたら、全く違っていた。周りの友達には碌に講義に参加せず、代返を使い、テストのときだけ現れて要領良く単位をとるような人ばかりだった。みんな、アルバイトと飲み会で忙しかった。そして、2年になる頃には自分も同じようになっていた。遊ぶためにはお金が必要だったから、アルバイトを頑張るようになる。彼氏ができて、しかしその彼氏が遊び人だったものだから、以前にも増して遊ぶので生活が忙しくなっていった。学問のことなんて、本当にどうでもよくなっていた。お金で単位を買いたいくらいだと心底思うことが何度もあった。
それでも、大きく道を外すことなく順調に進級し、留年することなく卒業した。
卒業後は都市銀行に就職し、大学時代とは対照的な規則だらけの日々を送ることになった。就職活動の時からうっすらと嫌な予感はしていたのだが、内定してから入社日までの間にその不安さは少しずつ色を濃くしていき、研修時に洋子の予感は的中することになる。朝から夕方まで指の皮が擦り切れるほど札勘をやらされることになった。大学時代にはあれほど欲しかった1万円札を束にして渡され、延々と枚数を数えさせられるのだ。今まで生きてきて始めて、目の前にある1万円札をゴミ同然と思ったのはそのときだった。また、うんざりすることなら数えきれないほどあった。支店はもちらん実家から通える場所になく、銀行の寮で生活することになったのである。築50年は経っているのではないかと思うほどボロい。支店ごとに寮があるわけではないから、行員はそこから電車で通勤する。時間帯はラッシュアワーだ。銀行では狭い場所で忙しく作業し、そして寮に帰ったら資格を取得するために勉強しなければならない。お金を使う暇なんてないから、通帳の預金残高は月毎に増えていく。確かに生活費を稼ぐためには困らない。けれども、誰のため、何のために働いているのかがわからなくなり、どうして自分が生きているのかよくわからくなった。
そうして、働き始めて2年が過ぎようとしていた頃。同期入社の男性社員が自殺したのを知った。寒い冬に、寮で一人、首を吊ったという。同じ大学出身だったのでその人のことは気にかけていた。一度も話をしたことがなかったが、まじめそうで、清潔そうな髪型をし、スーツのよく似合う人だった。こういう人はしっかりと仕事をしながら、当然のように結婚し、誰からも羨しがられるような円満な家庭を作っていくのだろうと想像してしまうくらい真面目で頼りになりそうな人だった。銀行では人が自殺するのは珍しくないと聞かされたのは入行して間もない頃だったが、まさか彼がそうなるなんておかしい。何かが間違っている、と洋子は思った。
そして、3年目の春に都市銀行を辞めた。こんな場所にいては自分は幸せになれない、という思いが確信に至ったのである。
テレビ画面の中では、大きな剣を持った若い金髪の男やスレンダーな体型をした外国人風の美女たちがそれぞれ個性溢れる身なりで、大自然を走り回っている。森の中を、半袖、ハーフパンツ、という軽装で突き進んでいく。いくら走ってもへたることなく力強い足取りでずんずんと先へ、先へ。いくら大きな武器を持っていても、金髪の男にとっては小さな石ころほどの重さでしかない。そして、美しい木洩れ日がヒロインの艶やかな二の腕と太ももを輝かしくも鮮明に映し出す。夜になれば、金髪の若い男は美女のうちの誰かと蜂蜜よりも甘い時間を共に過ごすことになる。
ゲームはネットを通じて世界中のプレイヤーと繋がっている。自分1人だけでプレーしているわけではない。ミッションによっては、自分が途中で離脱することで他のプレイヤーに迷惑がかかることもある。悪いタイミングで抜けるとはできない。場合によってはトイレすら行けないこともある。手が放せないのだ。
ハマるとゲームの世界が現実の世界よりも大事になってしまう。寝食のリズムは崩れ、身の回りの人とうまくコミュニケーションできなくなる。そして、目の奥が暗くなる。
ところで、洋子の目の奥は虚ろで暗い。ゲームをしている時には画面から反射する光とアプリケーションから得られる刺激によって鈍く煌くが、一旦画面から目を離し現実の世界に戻ると、眼球はやつれたように焦点を失っていることがすぐにわかる。
都市銀行を辞めて寮を出ることになった洋子はよく考えることなく実家に戻った。女性の一人暮らしは危険だし、東京はアパートの家賃が高すぎる。実家へ戻るための理由ならいくらでもあった。両親も娘が戻ってくることに反対はしなかった。
実家に戻ったばかりの頃は、間を開けずにすぐにでも働こうと思っていた。けれど、ハローワークに通ったり、自宅のパソコンでいろいろな会社の求人欄を見ているうちに、次第に働く気が失せていった。思ったよりも、働いている間に受けたダメージが大きかった。
お金なら使うあてもなく銀行口座に溜まっていた。時間のあるうちに設備投資ともいえる買い物をしておきたかったので、大学の時から使っていたパソコンを最新型に買い換えた。高額だったが、親切なことに、ゲームまでできるくらいハイスペックなPCだった。学生の時にゲームをほとんどやらなかったのは、外で活動する時間が長かったからだ。しかし実家に帰ると、20代の半ばにもなれば、周りの友達だって平日は仕事をしているし、一人で外へ出かけても虚しくなるだけである。洋子はゲームをやろうと思い立つ。最初は軽い気持ちだった。今まで頑張って勉強したり、忙しく働いてきたのだから少しくらい息抜きしたっていいかな、くらいの気持ちだった。
そうして平日も土日もパソコンの前でゲームばかりするようになるまでに大して時間はかからなかった。実家にいればご飯は当たり前のように母親が作ってくれるし、洗濯物に関しても同様で、全部親が面倒を見てくれる。仕事をしていないので、身なりについて気にする必要がなくなり、いつも同じものばかり身につけるようになった。それになんだか、ゲームばかりするようになって、顔がおたふくのお面を被ったかのようにむくんでいるかのように感じる。こんなはずではない。こんなのは自分ではないから、知っている人が見るとびっくりする。変な噂が広まってはマズいから、あんまり人と会いたくない。こうして、引き込もりになってしまった。
「やぁっ!」
「えぇぃ!」
「くぅっ!」
画面のスピーカーからキャラクターの叫ぶ声が聞こえる。主人公、ヒロインたちが戦闘している。相手は人間よりも何倍も体の大きいモンスターだ。剣や魔法で一斉に攻撃している。
エンカウントした相手は全員が敵で、死に至らしめてもよい。倒せばお金をもらえる。野生に生息するモンスターが現金を携帯するわけがないので、即金で銀行口座に振り込まれるシステムになっている。現実の世界とは大違いだ。
けれどもゲームをクリアするころには、心は擦り減り、鉄のように硬く、冷たく、痛みさえ忘れてしまうようになってしまう。融けた雪が二度と白い結晶に戻らないのと同じく、擦り減った心も二度と元の柔らかさを取り戻すことはない。プレイヤーは世界を救う代償に痛みを感じることができなくなる。
洋子はポテトチップスの入った袋に手を伸ばす。どうしてかわからないが、ポテトチップスというのは、食べ慣れると、だんだんと内容量が少なく感じてくるから不思議である。たしかに60グラムと記載されていて、どう考えてもそれぞれの袋の内容量にばらつきがあるとは思えないのだが、なぜか最初に食べた時よりも量が少ない気がして、物足りないのだ。
食べ過ぎると太るので加減しなければいけないのが苦痛である。お菓子を買うお金はある。けれど、買えない。使えないお金を持っていたところで何の意味がある? と洋子は近頃になってよく思う。
彼女は今では何を買うにもネット通販に頼ってばかりで、ろくに外出しないようになってしまった。ネットを利用するより近所のスーパーやドラックストアで買う方が安く買えることはわかっている。だが、面倒だという気持ちが勝ってしまう。
残念な要素ならいくらでもある。けれど、それなら、欠点のない大人なんてどこにいるのだろう。洋子は銀行で一生懸命に働いた。しかし、残ったのは、どうしようもない重苦しい感情と堕落した生活、わずかばかりのはした金くらいである。
「だけど、それがなんだっていうの?」画面の中のヒロインが叫んだ。「少しくらい休んだっていいじゃない? ずっと走りっぱなしで、疲れたのよ!」
ヒロインを含むパーティーは山賊のアジトを目の前にして口論している。主人公である金髪の若い男は困っている。すぐにでも突撃したいのだ。逃げられては困るから。
「ならそこで休んでなよ。行ける人だけでいくから。」金髪の男は言った。頼もしそうに見えて、薄情なのかもしれない。少しくらい待ってあげてもいいのに。
「好きにすれば!」ヒロインはまたも叫んだ。ヒステリックな性格なのかもしれない。だが、特別な訓練を受けていない普通の女の子なら、山賊のアジトに辿り着くまでにヘタって動けなくなるのは当たり前のことである。どうして山道を元気よく一日中走り回れるわけがある?
ヒロインはその場で腰を下ろし、膝を抱えている。彼女の他に2人の男女がその場に残る。
金髪の男は先へ進む。
冷たい男だよ。ちょっとくらい待ってあげてもいいじゃない! どうしてそんなに先を急ぐの? 洋子はヒロインに同情する。
洋子には彼氏がいた。高校生の時、大学生の時、銀行で働くようになってから。それぞれの時期に違う男性と付き合った。みんな冷たい男ばかりだった。
高校のときに付き合い始めたのが最初の彼氏だった。3ヶ月くらい経つと、メールをしても返事に愛想がなくなり、すぐに別れることになった。スポーツができて勉強もできるタイプだったから、別れた後は、じゃぁこれからどんな男を好きになればいいのか、と本気で悩んだ。遠くから見ていると彼は、女性にとても優しそうだった。そして、優しそうに見えて、実際、優しかった。憶えていないだけかもしれないが、ひどいことを言われた記憶はない。けれど、話をしても、メールをしていても、一体何を考えているのかよくわかなないような人だった。
大学の時に付き合ったのはちゃらちゃらした男だった。まず見た目がちゃらちゃらしていた。財布にチェーンがかかっていたし、家や原チャリのキーをキーホルダーで束ねて腰のあたりに付けていた。その男が立ったり座ったりする度にチャラチャラと音が鳴った。ネックレスをしていたし、ピアスも付けていた。ちゃらちゃらした若者を絵に書いたような男だった。けれど、優しかった。記念日にプレゼントも用意してくれるような人だった。だから、好きになってしまった。そして、独り暮らしで寂しかったし、つい、セックスしてしまった。まわりはみんなしているようだったし、あんまりのいいことだとは思わなかったけれど、つい、うっかり。今でもよかったのかよくなかったのかはよくわからない。その男についてはっきり覚えているのは、恋人として交際して、始めてのクリスマスの夜、自分との約束をすっぽかして、別の女と会っていたことである。その日は急に予定をキャンセルされて、あとになって女友達から聞かされたのだ。本当にショックで、クリスマスというものがどれだけ人を悲しい気持ちにさせるのかを知った日だった。その後に迎えた年末年始はアルバイトをする予定だったが、とても働く気になれず断って、一人アパートに籠もってテレビばかり見ていた。虚しくて、切なくて、なぜか涙が流れた。ガラスが粉々に砕けて、心の中の一番柔らかいところへ容赦なくバラバラと突き刺さったような感覚を味わった。とても悲しかった。その男とは、それからも交際したが、就職をきっかけに全く連絡を取らなくなった。銀行の寮で生活していれば男をシャットアウトするのは簡単である。ただメールを無視していればいい。恋愛しようと思わなければ、忙しくて男どころではないのである。
もう恋愛なんてできないだろうな、と思っていると、次の男は向こうから声をかけてきた。銀行員らしく真面目そうで、逞しそうな人だった。
懇親会でのことである。「彼氏いるの?」その人は洋子に聞いた。その場でメールアドレスを交換し、まもなく恋人関係になった。3つ年長の先輩だったし、しっかりしていそうな人だったので、先のことをいろいろと想像したものだった。勤務中や電車の中、そして家に帰ってからも幸せなことをいろいろと考えた。けれど、それが儚くも虚しい絵空事だったと思い知るまでに大した時間はかからなかった。交際し始めて、すぐに耳の早い同僚が教えてくれたのである。
「あの男、婚約者がいるって知ってて付き合ってんの?」
親切な同僚の一言で洋子の幸せな気持ちはきれいさっぱり湘南の海あたりまで吹き飛んだ。ヒューと、音を立てて、幸せが逃げていったのを感じた瞬間だった。
その日は勤務時間中、桑田佳祐の歌う「いとしのエリー」が頭の中で流れっぱなしだった。2人でカラオケに行った時、その人が唄ってくれた曲である。
笑ってもっとBaby、素敵にOh, My mind.
手足が震えて、息をするのさえ難しかった。少しも笑えない。神様は自分のことを憎んでいると思えて仕方なかった。どうして、付き合う男が、どいつもこいつも浮気者ばかりなのだろう?
洋子は暫くのあいだ職場で噂話の種になった。アヒルの子にでも生まれ変わったような惨めな気分をまたも味わった。
笑ってもっとBaby、素敵にOh, My mind.
毎日、毎日、忙しく勉強してばかりで、ちょっといいことがあったと思えば、それは悲劇の始まりだったなんて、いくら何でもあんまりではないだろうか。
あの人はカラオケで歌った。
Yoko, my love, so sweet.
こんなもん、バカバカしくてやっていられない。素敵な男の人と恋愛して結婚するために大学まで出たのではなかったか? 就職して、朝から晩まで身を粉にして働いているのに、ほんの少しも幸せになれる気がしない。幸せの気配なんて、この汚らしい悪魔のくそ壺としか言いようのない銀行の中のどこにある?
「せぇえぃ!」
「やぁー!」
金髪の若い男ら一行は山賊と戦っている。晴れやかな青空の下、緑が生い茂る山道で武器を振り回し、相手を倒そうとしている。捕まえれば、仲介者は請負主から感謝され、主人公ら一行は給料を受け取ることができる。負ければ、身に着けている服や装飾品、所持金は全て奪われる。相手は野蛮な山賊だ。決してやられるわけにはいかない。
ところで、どうしてこのような危険なミッションの戦闘部隊に女性が参加しているのだろうか? 少し間違っただけで、大変なことになるはずなのに。
「くっ! 逃げろー!」
山賊の頭は戦闘に敗れ、味方に退却を呼びかける。
山賊ら一味はすぐにその場からいなくなる。逃げ脚が早い連中なのだ。きっと、今までに数々の修羅場をくぐり抜けて来たのだろう。お頭が逃げていいと言っている以上、こんなところでやられるわけにはいかない。ここで死んだら、犬死にも同然だ。
不精ひげを生やした男たちの中の一人で、戦闘に参加したものの無傷の男がいる。長槍の腕が優れていて、相手の力量をすぐに見抜いてしまう達人である。彼は元々国に雇われていたけれど、仲間同士の争いごとに巻き込まれて、やむをえず山賊となった。ルークという。
こんなところで死ぬなんてごめんだよ。大体、なんであいつら、ここの場所知ってんの? 近くに仕掛けてあった罠を全部スルーしてここまで辿り着いたわけ? ありえんわ。気違いだよ。そんな用意周到な連中と戦うなんて、俺は絶対に嫌だよ。
ルークは森の中を全力でかけている。自分たちが仕掛けた罠に引っ掛からないように注意しながら、でこぼこ道や急な斜面を慣れた足取りで通り過ぎて行く。茂みの中では山道に住む珍獣たちが目を丸くしてルークが通り過ぎるのを見ている。盗賊たちが仲間割れでもしているのかな? シダの葉や八ツ手の葉は彼が通りすぎるのを事前に感じ取り、自らそろそろと道を開ける。ルークは植物に感謝する。いつも、お世話になってばかりだよ。植物は心が通じる生き物に対して先に起こることを示唆する。じっとその場にたたずみ、時が来ると静かに、その人にしかわからない暗号を発するのだ。
この道を通ればいいんだよ。ルークの旦那。
ルークはずんずんと山道を進んでいく。どこに向かっているかよくわからないけれど、植物の示す道をただ必死に突きすすむ。やがて登山者がよく通る道に出てしまう。
見慣れた道だよ。町へ向かう一本道じゃないか。で、ここを通って、町まで出ればいいわけかい?
剣を持った男はたった今通ってきた方向にある木々や足元の植物に問いかける。しかし、返事はない。信じるか信じないかは自分次第だ。
仕方なしに旅行者のふりをして山を降りることにする。逆方向は山賊のアジトから近い。奇襲者と遭遇するかもしれないので、戻るわけにはいかない。
明るい陽の差す山道をとぼとぼと歩いていると、道端で休んでいる3人の若者に出会った。若い男が1人、若い女が2人。3人とも地べたに座り、疲れた様子で足を休めている。無理はない。平地暮らしに慣れている者にとって山道は苛酷である。しかし、登山客にしては軽装すぎる。男は役に立つ物を持たずに不必要な物ばかり身に着けているし、女の子らは肌の露出が多い。もしかしたら、こいつらは奇襲者の仲間かもしれない。
「もしもし、何かお困り事ですか?」ルークは話しかける。うまくいけば、旅行客として町へ戻れるかもしれない。
「いいえ、先に行った仲間を待っているんです。日が暮れないうちには戻ってくるはずなのですが、なかなか戻ってこなくて。」ヒロインが、答える。
ぴちぴちの細い脚、跳ね馬ように引き締まった体、控えめに主張する豊満な胸部、美しく伸びる二の腕、指先、艶やかに色めく銀色の長い髪、目の奥から静かに輝く憂えた光。ヒロインの容姿はルークを惹きつけるには十分だった。
なんてキレイな女なのだろう!! まさに美人と呼んでもいいくらいだ!!
「この山道には山賊が出るといいますから、この先は危険ですよ。いつまでここにいるのですか?」ルークは心配そうに声をかける。外観はばっちりだけれど、この山道を街を歩くような軽装で登って来るなんて、頭が弱いに違いない。普段なら付き合わずに素通りするだろう。
彼女の身が心配である。
「もう1、2時間待ってみて、戻ってこなければ、来た道を引き返します。」
「それなら、私もお供しますよ。用心棒役とお思いになってください。山賊が襲ってきたら力をお貸しします。」
ルークはヒロインたちのパーティーに加わった。
えぇ? こんなヒゲ男が仲間になるの?
洋子は心の中で呟いた。仲間になるのは構わないけれど、おじさんだし、山賊の仲間だし、武器は弱そうな長槍である。どうせ使えないに決まっている。
コントローラーを一旦腰元へ置き、茶菓子に手を伸ばす。甘い饅頭である。中には栗が入っている。薄い皮の中にたっぷり餡が入っていて、食べると幸せな気持ちになる。近頃は毎日食べている。1ケースにつき6個入っている。はじめはちまちま1ケースずつ買っていたのだが、今では面倒になってインターネットで5ケースまとめて買うようになった。まとめて買った方が割引の対象になるし、ポイントが多く付いてお得なのだ。ただし、饅頭は賞味期限が短いので少し心配である。2週間くらい。けれど、2週間あれば5ケースくらいすぐになくなる。本当はもっと注文したいところだが、食べすぎると太るのから、1度に6ケース以上は注文しないことにしている。
太らない人が羨ましい。
栗饅頭を食べる。うまい。でも、たぶん気のせいなのだろうが、近頃味が薄くなってきた気がする。内容量も少なくなってきた気がする。こんなにちいさかったっけ。
テーブルに用意してある茶碗を持ち、一口すする。すっかり冷えている。温かければもっとよいけれど仕方がない。ないよりマシだ。
「ごめんごめん。遅くなって!」
主人公が戻ってくる。疲れた様子もなく、これから遊びに出かけるかのような明るさだ。
「この人、誰?」主人公はヒロインらに尋ねる。
「お前が帰って来るまで、俺達を守ってくれるって言ってくださっている人だよ。」ヒロインと一緒にいた若い男は言った。
「これからどこへ行くんですか?」主人公は言った。
「これから、山を下りて町へ向かいます。私はもう必要なさそうですね。これで失礼します。」ルークは用は済んだとばかりに、さよならと言って1人町の方へ向かっていった。ヒロインがあまりにも美人なので、惜しいことをしたかもしれないと思いながら。
「で、山賊はやっつけたの?」若い男は尋ねた。気になるところである。
「いいや、逃げられた。」
「それで?」
「仕方ないじゃん、向こうはここのところの地理に詳しいんだし。ちょっと優勢かなって思ったところで、すぐに、逃げろー!って大声出されて、すぐに目の前からいなくなったのさ。」主人公は悪びれもなく言う。ミッションに失敗したのだ。
「で、これからどうするの?」若い男は少しも驚かずに尋ねる。期待していなかったのかもしれない。
「次の町へ行こうぜ!」主人公は明るく言った。
「無理、無理」若い男は言った。ヒロインを指でさす。女の子は同行できないよ。
ヒロインは黙っている。腹わたが煮えくりかえっている。こんなところに来たのが間違いだった。というか、こんなちゃらちゃらした男に付いて来たのが間違いだった、と後悔し始めている。自分を置いて先へ行き、山賊をとり逃がして帰ってきて、申し訳ないの一言がない。どうしてこんなに能天気なのだろうか。
ヒロインは主人公を見る。流行りのハーフパンツ、太いベルトにチェーン、意味もなくネックレス、ブレスレット、男のくせに耳にピアス。出会ったばかりの頃にはかっこいいと思えたものが、今になって見ると全てがちゃらちゃらして間抜けに見えるから不思議である。山賊を取り逃がしておいて、なぜ何の謝罪もないのだろうか? 一緒にここまで来た仲間を置いて勝手に突撃しておいて、とり逃がしたのだ。馬鹿者としか言いようがない。こんな男を信じてここまで付いて来たのがすごく悔しい。
「私は町へ戻るわ。さよなら。」ヒロインは立ち上がり、町へ向かって来た道を戻っていく。
彼女はルークの後を追う。
ヒロインに付いて行く者はいない。男たちはみんなヒロインに対して冷たい。
「元気でな!」
「また会おうぜ!」
「気を付けてね!」
主人公ら一行はそれぞれヒロインに声をかけて、次の町へ向かう。この瞬間からヒロインは別の女の子に変わるのだろうか。女の子なら誰でもいいのかもしれない。
なんて冷たい人たちなんだろう。
洋子は心の中で呟いた。淋しげに山道を下りる銀髪の若い女の心境が痛いほどわかってしまう。虚しい気持ちになる。ゲームをしていてこんな気持ちになるのは珍しい。なぜか、急に悲しさが込み上げてくる。もしかすると私はこのゲームをクリアできないかもしれない、と洋子は思った。
部屋の中にはパソコン以外にもゲーム機がある。テレビ画面の周辺はゲーム機とコントローラのコードで散らかっている。キャビネットにはゲームソフトが並べてある。
なんだか、やる気がなくなってくる。
主人公ら一行はセーブポイントへ行く。洋子はデータを記録して、ゲームのスイッチを切る。
洋子はポテトチップスを掴み、口の中へ入れる。味がしない。
そのまま横になる。コタツの中にしっかりと体を入れる。暖かい。
次は何のゲームをしようか。
それとも、働こうか。
いいや、ありえない。春になるまで待とう。
少し疲れた。たぶん、ほんの少し休めばすぐに気分がよくなるはず。もう悲しい思いはしたくない。
窓の外から屋根に積る雪が融けて地面へ滴る音が聞こえる。曇っていながらも明るく世界を映し出す。
ぴちゃり、ぴちゃり。優しく彼女に呼びかけるのだった。(完)