アンディ・デリスの経歴

アンディ・デリス(Andreas “Andi” Deris)について。

Andi Deris

アンディ・デリスはドイツ人。現在はHelloweenのボーカリストとして活動しています。 既婚者であり、息子が一人います。息子の名前はロン。(ロン・デリスもミュージシャンです。)

生年月日:1964年8月18日

身長:178 cm

身長についていえば、メンバーの中で1番背が低く、雑誌などでは「他のメンバーと並ぶとアンディが小柄に見えてしまう」と紹介されることがあります。しかし、私が実際にライブに参加したときの印象を書くと、間近で見ましたが、そんなことは少しも気になりませんでした。(ヴァイカートばかり見ていたためかもしれません。)

出身地域:バーデン=ヴュルテンベルグ州カールスルーエ
(Baden-Württemberg Karlsruhe)

故郷

カールスルーエ。計画的に設計された都市です。
宮殿からの景観です。

バーデン=ヴュルテンベルグ州カールスルーエは、ドイツの南西部、フランスとの国境ある都市です。人口は約31万人。ドイツの中で21番目に人口が多いとされています。

ヴァイカートとマーカスの出身地であるハンブルク(ドイツ北部)からは直線距離で520kmほど離れています。 私は実際にドイツを旅行したこともなければ、ヨーロッパにも行った事がないので(というか、日本を出たことすらありません。)現地のことはよくわかりませんが、地図を見ただけで感想を書くと、心理的距離は近くないと思います。

現住所

現在は、スペイン領カナリア諸島テネリフェに住んでいます。ヴァイカートも同じ地域に住所を置いています。

自宅に「Mi Sueno」という名前の録音スタジオを所有していて、「The Dark Ride」以降のアルバムは全てここで行われています。地運が良いようで、作品の出来映えは少しずつ良くなっています。ちなみに、「Mi Sueno」とは、スペイン語で「私の夢」という意味です。

バンド活動

若い頃のアンディ。
ハンサムですね。

1979年(正確な時期は不明)。15歳時にはバンド活動を始めています。「Paranoid」という名称のバンドを結成し、ボーカリストとして歌い始めます。

2年後、バンド名を「Nameless」に変更。学校の友人と共に音楽活動を続けます。当時のドラマー、ラルフ・ムーレ(Ralf Maurer)は、アンディのソロアルバムに参加しています。

1984年、「Dragon」という名称のバンドに加入。
ギターは、ブルーノ兄弟。Bruno and Oscar Di Blasio (Di Blasio BrOs)
ベースとドラマーはルーデマン兄弟。Bernd and Stefan Lüddemann

カールスルーエ地域でのライブ活動の後、ミュンヘンにて初のデモ録音行います。曲のタイトルは「I Was Made to Be With You」「Call Me Up」「Woman」「I Hear the Angels Singing」「Ballade of Glory」「Rock Your Body Down」

1986年、ベーシストのダニエル・デ・ニーロ(Daniel De Niro)がバンドに加入。また、学生時代からの友人ラルフ・ムーレがドラマーとして加入。バンド名を「KYMERA」と改めます。
アンディーの兵役はこの時期に終了します。21歳を過ぎた頃ということになります。

すぐにカールスルーエのスタジオ(名称:カタパルト・トンスタジオ)でレコーディングを始めます。
新曲は「Hello U.S.A.」「Hot Looking Romeo」「Send Me a Letter」。
また、Dragon時代に録音してあったデモを再アレンジします。 アレンジされたのは「I Was Made To Be With You」「Call Me Up」「Woman」。

数回のコンサート後、ドラマーのラルフ・ムーレが脱退します。理由は、大学に進学するため。代わりとして加入したのが、コスタ・セフィロス(Kosta Zafiriou)。すぐにレコーディングを始めます。
新曲は「Shadows Are Falling」「Lonely Would Be Loving You」。
また、Dragon時代のデモを再アレンジします。アレンジされたのは「Ballade Of Glory」
1986年の終わりまでドイツ内にて積極的にライブ活動を行います。

しかし、1987年にアンディはKIMERAを脱退。同時期にセフィロスも脱退します。そして、Pink Cream 69を結成します。

同じく1987年、No Mercyというバンドにボーカリストとして雇われます。
バンドのメンバーは、 ボビー・ベンツ (Bobby Benz, Bass)、 ルージャー・フル(Rüdiger Föll, Drums) 、ウー・アルム(Uwe Ulm, Lead Guitar)
アンディーはPink Cream 69 と No Mercy、2つのバンドのボーカリストとして活動します。最終ライブではPink Cream 69 が No Marcy のサポートバンドとして登場し、同じ夜に続けて2つのライブを行いました。

Pink Cream 69

バンドが結成されたのは1987年。アンディが22歳の時。メンバーは、デニス・ワード(Dennis Ward)、コスタ・セフィロス(Kosta Zafiriou)、アルフレッド・コファー(Alfred Koffler)、アンディ。
彼らはCBSと契約しました。現在はソニーとして知られているレーベルです。

アンディがレコーディングに参加したアルバムは以下の3枚。

  • Pink Cream 69 (1989)
  • One Size Fits All (1991)
  • Games People Play (1993)

日本で人気が出始めたのは2ndアルバムが発売されてからです。HelloweenのKeeper of the Seven Keyが大ブレークした後、さまざまな出来事によって低迷している時期です。
しかしながら、日本ではヘヴィ・メタルが流行している時期でもあります。カイ・ハンセンは、当時の様子を雑誌のインタビューにて次のように語っています。

驚いた。(自分たちが)ディープパープルかと思ったよ。

BURRN!(出版時期、不明)

アンディはPink Cream 69 として来日したこともあります。

アンディは当時のPink Cream 69 の曲の作詞・作曲について、殆ど全曲を手がけていました。当たれば尊敬され、外れれば総スカンという、ポジションです。相当なプレッシャーだったと思います。

そうして、3rdアルバムにて。大いに外してしまい、バンドのメンバーと険悪なムードになります。
作曲において、メロディーは、先を行き過ぎてはいけないし、古くてもいけないのですが、アンディーの場合は先を行き過ぎたみたいです。ファンにとってはモダンでヘヴィな内容でした。

ヴァイカートとアンディ

そこで、アンディに救いの手を差し伸べたのがヴァイカートです。当時からアンディとヴァイカートは友人同士でした。ヴァイカートはアンディをHelloweenに加入するよう奨めます。そうして、アンディはPink Cream 69を脱退し、Helloweenに加入します。

Helloweenは当時、問題作「Chameleon」を発売した直後で、商業的に先が見えない状況に陥っていました。また、同時期にマイケル・キスクが脱退したり、インゴが自殺(1993年3月)するなど、バンドは壊滅的ともいえる状況でした。

様々な不幸せがアンディをHelloweenへ導いたといえます。ファンからすればいきなり加入したという印象ですが、アンディからすれば(救いを求めて)辿り着いた場所です。

ソロ活動

シングルのジャケット(1997)

アンディはHelloweenでの活動と平行して、ソロでもCDを発売しています。

  • Come in from the Rain (1997)
  • Done by Mirrors (1999)
  • Million-Dollar Haircuts on Ten-Cent Heads (2013)

アンディーはPink Cream 69 時代に、2つのバンドで活動していた経歴があります。人脈を広げるという意味で、ソロ活動はアンディにとって欠かせないのでしょう。

歌声

アンディの歌声を聴いていて思うのは、歌い方のバラエティが豊富だということです。穏やかに歌うこともできるし、ブルータル(獰猛)に叫びながら歌うこともできます。

後期の作品になるほど、声の響き方というか、広がり方が絶妙になっていきます。おそらくテクニックが上達しているのでしょう。

そうして「Burning Sun」を聴いた時にはさすがに驚きました。歌声がPainkiller(ジューダスプリーストの名曲)を歌うロブ・ハルフォードにそっくりなのです。この事に気付いた時、私はアンディのことを天才だと思いました。

〈 ヴァイカートが抱く印象 〉
ヴァイカートはアンディの歌声をマイケル・キスクの歌声と比較して次のように語っています。
「キスクは一つの方法でしか歌えないが、アンディは曲に合わせて歌い方を変更できる」

その他のエピソード

〈 作曲 〉
Helloweenに加入後、どのメンバーよりも多く曲を書いています。

〈 ビッグバンドからの勧誘 〉
リッチーブラックモアからバンド(Rainbow)に加入しないか、と誘われたことがあります。Helloween時代のこと。当時アンディはHelloweenを壊滅状態から復活させた人物として勢い付いていました。
しかしながら、誘いには応じませんでした。理由は、Helloweenが自分に適した場所だと、判断できたからです。(BURRN!を読んで、出版時期、不明)

〈 お酒 〉
普段、お酒はあまり飲みません。特にビールはいけない、と雑誌のインタビューで語っています。3才の時に、父親が勤めていたビール工場へ行った際、ビール樽の梯子を上り、誤って転落した経験あり、そのときに大量にビールを飲んでしまったようです。

〈 銃コレクション 〉
2年間の兵役を務めた経験から、銃の所持を認められています(9mmまで)。M41、UZIマシンガンを所持しています。

〈 好きな飲み物 〉
カプチーノが好きです。

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